今日は午前十一時から喜佐方小学校体育館で行われた山下亀三郎翁80年、清家吉次郎翁90年の合同年祭に出席した。久しぶりにスーツ着用。どちらも喜佐方村出身で同級生で乳兄弟とか。二人とも町内に銅像が建っている。山下亀三郎さんは山下汽船の創設者。若い頃苦労した後に海運業で大成功を収めた方。横浜の山下埠頭や山下公園は氏によるものらしい。氏の所有の葉山の別荘に住み込んでいたのが石原慎太郎、裕次郎のお父さんだったのはあまり知られていない。清家吉次郎さんは教職を経て、県議、吉田町長などを経て衆議院議員になり、山下氏の協力を得て山下高女(現吉田高校)、山下第2高女(三瓶高校)などを設立、柑橘組合の設立や鉄道の誘致など吉田の発展に尽力。

オヤジは清家吉次郎さんの親族として出席。オヤジの曽祖母のモトさんが吉次郎さんの妹だ。吉次郎さんの直系の親族はいないらしく親族の中では一番近いようだった。横浜からもう一人吉次郎さんの妹のお孫さんが出席されていて、お話させてもらった。山下亀三郎さんの方は東京に住んでいるお孫さん(年上だけど)とひ孫さんが二人出席されていた。式は桐朋学園大出身のプロの演奏家の木管五重奏からはじまった。さすがにいい音だ。焼香などで午前中終了、午後から隣の喜佐方公民館で三時ごろまで宴会。地元の方たちも含めていろいろお話させてもらった。しかし、80年、90年たっても二人のためにこういう会を催してくれた地元の方々に頭が下がる。
出席する前に二人のことをいろいろ下調べしていった。驚いたのは吉次郎さんが正岡子規の友人だったこと。子規が東京の根岸で病気療養をしているところに訪ねて行って、俳句を勧められたらしい。俳号は無逸らしい。どんな俳句を詠んだのかいまのところわからないが調べてみたい。
いままでも吉田の元しんばし前にある銅像の前を通るたびに「おじさん、元気?」と心の中で声をかけていたのだが、さらに親しみが湧いてきた。